2019年9月議会

田口一登議員の個人質問②「表現の不自由展・その後」への市長の中止要請について(2019年9月13日)

トリエンナーレ「不自由展・その後」
・・・政治家による表現の自由の侵害は許されない・・・
      田口一登 議員

「公権力による表現の自由の侵害」
表現の内容に異議を唱えて展示の中止を求めるのは、事実上の「検閲」だ

【田口議員】8月1日から開催されている国際芸術祭、あいちトリエンナーレの企画展の一つである「表現の不自由展・その後」が、わずか3日で中止に追い込まれました。日本軍「慰安婦」を題材にした「平和の少女像」や昭和天皇の写真を使った作品などの展示が公表されると、テロ予告や脅迫を含むファックスや電話が実行委員会や愛知県庁などに殺到しました。暴力や脅迫で自由な表現の場を奪うことは断じて許されません。
 今回とりわけ重大なのは、政治家が展示の内容に介入したことです。その一人が河村たかし名古屋市長であります。市長は8月2日、展示を視察した後、「平和の少女像」などの展示について「日本国民の心をふみにじる行為」などと述べ、実行委員会会長である大村県知事に即時中止を含めた対応を求める要請を行いました。

令和元年8 月2 日
あいちトリエンナーレ実行委員会会長 大村 秀章 様
             名古屋市長 河村 たかし  
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について
 本事業は、本市の負担金2億円余を含む10億円を超える多額の税金が
使われている展示会である。その一企画である「表現の不自由展・その
後」は、表現の不自由という領域ではなく、日本国民の心を踏みにじる
行為であり許されない。行政の立場を超えた展示が行われていることに
厳重に抗議するとともに、即時、天皇陛下や慰安婦問題などに関する展
示の中止を含めた適切な対応を求める。

 この企画展は、美術館などで展示を拒否されたり、一度展示されたものを撤去されたりした作品をその経緯とともに展示し、「自由をめぐる議論の契機を作りたい」として企画されたものであり、実行委員会も県も市も、個別の作品への賛意を示したものではありません。
 企画展の中止を求めた市長の行為は、憲法21条が保障する表現の自由を侵害するものではありませんか。さらに、憲法21条は検閲を禁止していますが、市長が、表現の内容に異議を唱えて展示の中止を求めるというのは、事実上の検閲にほかならないと考えますが、市長の見解を求めます。

検閲ではない。議会のチェックも同じこと(市長)
【市長】全く検閲ではありません。公共事業は、必要最小限としても、誰かがチェックしてます。議会がそうです。市役所だって予算作るためにいろいろヒアリングして申込書を書いてもらってやっとる。それが検閲というなら、議員としていま検閲していると言ったらどうだね。

公共施設の管理・利用方法にすり替えるな。時の政権に批判的な内容の展示はするなということか
【田口議員】市長は、8月5日の記者会見では、表現の自由について、「絶対的に何をやってもええという自由ではありません」「表現の自由は、一定の制約がある」と言いました。今回の市長の中止要請は、表現の自由への制約という点からのものだと私は認識しました。ところが、8月8日に市長が公表した文書では、県知事にたいする中止要請の趣旨は、「『表現の自由』の規制そのものを目的としたものではない」と弁明しているのです。この文書では、「『公共施設』の管理・利用方法が不適切である旨を指摘」したとして、「愛知県が主宰者として、愛知芸術文化センターという公共の場を提供し、かつ、公衆の嫌悪感を覚えさせる作品の展示に住民の税金を拠出するといった『便益供与』を行うことは、行政(愛知県・名古屋市)に求められる政治的中立性と、それに対する社会の信頼を著しく損なうもの」だと述べています。これは、表現の自由にかかわる問題を、公共施設の管理・利用方法にすり替えるものと言わなければなりません。
 さらにその後の記者会見で市長は、憲法15条の「公務員は全体の奉仕者」という規定を持ち出して、日本国直営の展覧会だから、みんなが納得したものをやらなければいけない。日本国直営の展覧会だから中止を求めたという趣旨の発言をされています。
 さきほども市長は日本国直営といいましたがトリエンナーレはそうではありません。こうした不適切な表現はこの議場ではやめていただきたいと申し上げておきます。
 それでは市長に伺いたい。国や自治体が主催者の一員となった展覧会では、時の政権の立場に批判的な内容の展示はしてはならない。「政治的中立性」が担保された作品しか展示してはならないというのが、市長のお考えですか。

政治的中立性は意識しなければいけない(市長)
【市長】自治体が主催者という認識があるかないかで全然違うんです。あたかも民間の1展覧会に展示したのを止めたというように見えるマスコミの報道も、ままあるんです。
 政治的中立性については、意識はせないかんでしょう。行政が主催したものの場合は、より強く意識せないかんかどうかということですが、憲法15条2項に、公務員は全体の奉仕者であって一部に奉仕者ではないとあります。地方公務員法にも政治的中立性について明記した条文があります。意識はせないかんと思いますが、これが政治的中立かどうかは、非常に多岐多様に複雑に分かれますので、この辺にしときたいと思います。

〝金は出しても口は出さない〟という原則を守るべき

「表現の不自由展・その後」の事業費の内訳
・表現の不自由展・その後実行委員会への
 作品選定・制作・展示業務委託費     約 220万円
・展示ディスプレイ費           約  80万円
・輸送費                 約  70万円
・事務的経費(作家打合せ旅費)      約  40万円
   合    計            約 420万円
※上記の事業費には、会場使用料、広報PR費等の会期終了後
 に精算する共 通経費は含まれていない。
※この事業はすべて、民間からの協賛金を充当する予定。
*愛知県トリエンナーレ推進室へのヒアリング、
 芸術監督へのヒアリングより

【田口議員】表現の自由は、「公共施設であること」や「税金が投入されていること」を理由に制限されるべきものではありません。大村県知事は記者会見で、「公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならない」「税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない」と述べましたが、これが正論であります。
 市長、多様な表現の機会を保障することこそ国や自治体の責務ではありませんか。芸術・文化への公的助成にあたって、国や自治体は〝金は出しても口は出さない〟という原則を守るべきではありませんか。

こんなことがなかったら何も言いません
【市長】金は出しても口は出すなというのは、ケインズが言った言葉です。ナチス・ドイツが芸術を利用したという悲劇をもとに、芸術は大変貴重なところもあり、アーツカウンシルをイギリスで作ろうという時に、金は出すが口は出すなといった。
 それは、極力出しません。こんなことがなかったら何も言いませんよ。隠して出すと、はっきり当事者が行っとるんですよ。こうようなことをやられたときにちょっと待ってちょうよというのは社会的義務ではないですか。言わないほうがおかしい。

中止に反対する国内外のアーティスト・メディア・各種団体からの抗議の状況
アーティスト・芸術業界 メディア 各種団体
あいちトリエンナーレ2019参加アーティスト 88名
日本美術会
日本ペンクラブ協会
日本劇作家協会
美術評論家連盟(AICA JAPAN)
CIMAM(国際美術館会議)
美術家井口氏(Change.orgによる署名の提出)
関西美術家 平和会議
第68回関西平和美術展実行委員会
美術集団8月運営委員会
NPO法人Art-Set0(アートセットゼロ)
アーティスツ・ギルド
引込線2019実行委員会
新制作協会有志
日本マスコミ文化情報労組会議

日本イメージ・ジャーナリスト協会(JVJA)
日本ジャーナリスト会議・東海

愛知県弁護士会
愛知県保険医協会
「表現の不自由展・その後」の再開をもとめる愛知県民の会
日本共産党愛知県委員会
日本国民救援会天白支部
再開をもとめる愛知県民の会始め174団体による共同要請(9/9)
自由法曹団愛知支部
新日本婦人の会中央本部
京弁護士会
公益法人財団YWCA
日本軍「慰安婦」問題解決問題行動
アムネスティ・インターナショナル日本
アクテイブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」
暮らしと法律を結ぶホウネット
埼玉アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会 常任理事会
日本バプテスト連盟理事会
表現の自由を市民の手に全国ネットワーク
京都府宇治市「平和の集いin宇治」開催実行委員会
「横浜事件と言論の不自由展」実行委員会
CWJC(Comfort Women Justice Coalition)

日本軍「慰安婦」問題の市長の歴史認識

市長は「河野談話」が認定した事実すら認めないのか
【田口議員】市長が問題だと判断した展示物の一つが、「平和の少女像」です。8月8日の文書で市長は、「従軍慰安婦」の問題自体が、その存否(存在するか存在しないか)・評価を含め、高度にセンシティブな政治的な問題を含んでいる。多くの日本国民の国民感情を甚だ侵害する恐れが強くあるから、「公共の場所に相応しくない作品である」と述べています。記者会見では、「日本国、名古屋市、愛知県が従軍慰安婦の存在を認めたと見られるような展示は差し迫った危険がある」とまで言っています。
 これらの発言を聞いて私は、日本軍「慰安婦」の問題はそもそも存在しないというのが市長の歴史認識ではないかと受け止めました。しかし、「慰安婦」問題は存在しないという立場は、日本政府の公式の立場とも異なります。「慰安婦」問題についての政府の見解は、1993年8月4日に出された河野洋平官房長官談話で示されています。
 「河野談話」では、1991年12月から行ってきた政府による調査の結論として、次の5つの事実が認定されています。
 第1は、「慰安所」と「慰安婦」が存在した事実です。「河野談話」では、「長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた」と述べています。
 第2は、「慰安所」の設置、管理などへ軍が関与した事実です。「河野談話」では、「慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」と述べています。
 第3は、「慰安婦」とされる過程が「本人たちの意思に反して」いた、すなわち強制性があったという事実です。「河野談話」では、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」と述べています。
 第4は、「慰安所」における強制性、慰安婦が強制使役の下におかれていた事実です。「河野談話」では、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」と述べています。
 第5は、日本を別にすれば、多数が日本の植民地の朝鮮半島出身者であり、募集、移送、管理等は「本人たちの意思に反して行われた」、すなわち強制性があったという事実です。「河野談話」では、「戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と述べています。
 これらの事実の認定のうえにたって、「河野談話」は、「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と表明しています。
 さらに、「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と述べています。
 「河野談話」についてはその後、国会で当時の日本維新の会の議員から「見直し」が求められ、検証が行われましたが、それでも政府は「河野談話の継承」を表明せざるをえませんでした。
 そこで、市長にお尋ねします。市長は、日本政府の見解である「河野談話」が認定した事実、私が談話から引用して示した5つの事実を認めますか。

軍に強制的に従軍慰安婦とされたことを示す歴史文書は存在しないと全面広告に賛同した(市長)
【市長】慰安婦問題では、あたかも共産党のような主張をされたが、事実だけ申し上げますと、私は2007年6月14日、日本の国会議員らがワシントンポストに掲載した全面広告に署名しています。それは第2次世界大戦中に日本軍によって強制的に従軍慰安婦とされたことを示す歴史文書は存在しないと訴える全面広告です。衆議院ではありませんので、この辺にしときたいと思います。

「従軍慰安婦」強制を否定 ・・・自民・民主議員ら 米紙への意見広告
    批判・怒り世界から / 米副大統領も「不愉快」
 「従軍慰安婦」の「強制連行はなかった」と主張する自民、民主両党の「靖国」
派の国会議員らの米紙ワシントン・ポストへの意見広告に、米国内外から批判の声
が上がっています。この意見広告は今月14日付に掲載されたもの。ジャーナリスト
の櫻井よしこ氏、元駐タイ大使の岡崎久彦氏なども名を連ねました。掲載後、元
「慰安婦」、韓国紙などから批判の声が上がり、米副大統領の怒りも伝えられてい
ます。米下院外交委員会ではこの26日に「従軍慰安婦」問題で日本政府に謝罪を求
める決議が採決される予定です。

 意見広告に名を連ねているのは、自民、民主、無所属の四十四人の議員です。
「慰安婦」問題で日本軍による強制と関与を認めた河野官房長官談話(一九九三年)
の撤回を強く主張してきた稲田朋美(自民)、松原仁(民主)の両氏から、日本会
議国会議員懇談会(日本会議議連)会長の平沼赳夫氏(無所属)まで「靖国」派国
会議員が勢ぞろいしています。

 意見広告は、「事実」との表題で、米下院の「慰安婦」決議案が日本軍による“若
い女性への性奴隷の強要”や、“二十世紀最大の人身売買の事件の一つ”などと指摘し
ているのは、「故意の歪曲(わいきょく)」だと主張しました。

 さらに、「日本軍による強制を示す歴史資料は見つかっていない」「慰安婦は“性
奴隷”ではなく公娼(こうしょう)である」などと述べています。

 「慰安婦」問題をめぐっては、三月に安倍晋三首相が「強制性はなかった」と国
会答弁したことを機に、米メディアが注目。ワシントン・ポスト紙社説が、安倍首
相が北朝鮮の拉致問題に熱心なのと対照的に「日本自身の戦争犯罪には目をつぶって
いる」として、「二枚舌」と批判したのをはじめ、主要各紙が社説で日本政府のこ
の問題での不誠実な態度をいっせいに批判していました。

 この意見広告が掲載された二日後の十六日、米下院外交委員会のラントス委員長
(民主党)が、同委員会に付託されている従軍慰安婦問題に関する対日謝罪要求決
議案を二十六日に採決に付すことを明らかにし、「多数の賛成で通過するだろう」
と述べました。

 同決議案の賛同議員は急増し、二十二日までに、百四十五人に達しています。ラ
ントス委員長自身も新たに共同提案者になっています。

 決議案が委員会で可決されると七月中にも本会議で採決される可能性があります。

                    2007年6月24日(日)「しんぶん赤旗」。

 

「慰安婦」問題の本質は「慰安所」で性奴隷状態とされた事実にある。「平和の少女像」を見た人たちの多様な感じ方まで否定するのか(再質問)
【田口議員】市長は日本軍慰安婦問題で、私の質問を共産党の主張だというが、私が質問で述べたのは政府の主張を述べたのです。政府の見解、河野談話。これに対して市長は答弁されなかった。記者会見では、この間、市長は韓国をはじめ、アジア各地の女性を強制的に連れていったというのは事実と違うなどと語っています。しかしこの議場では答弁を避けられた。ということは市長の主張に論拠がないからだと受け止めさせていただきます。
 「慰安婦」問題の本質は、「強制連行」の有無にあるのではありません。「慰安所」における強制使役、すなわち性奴隷状態とされたという事実にあります。「慰安婦」問題は今、政治問題になっていますが、本来は人道問題なのです。
 そのうえで、市長が問題にされた「平和の少女像」という作品について伺います。
 「平和の少女像」を制作した韓国の彫刻家キム・ソギョンさんとキム・ウンソンさん夫妻は、新聞のインタビューに答えて次のように語っています。
「日本の一部の政治家や保守系のメディアは、少女像を『反日の象徴』などといいますが、それは違います。『慰安婦』被害の歴史を記憶し、人権のためにたたかい続けるハルモニ(おばあさん)をたたえ、運動を継承するためのものです。少女像には、ハルモニの苦しく長かった人生や未来への夢など、すべてを込めました」。
 わずか3日間の展示でしたが、「不自由展」で少女像を見た人たちはどんな様子だったか。少女像の前では、その髪や肩、握りしめた拳をなでる人、解説をじっと読む人の姿があった。少女像に紙袋をかぶせた客に対し、別の客が抗議してやめさせる場面もあったと報じられています。
 少女像を見て、市長は、日本国民の心を踏みにじる「反日」作品だと感じられたようですが、少なくない人たちは、つらい人生を歩んできた被害者への「共感」を抱いたのではないでしょうか。市長は、「平和の少女像」という作品が、これを見た人たちに与える多様な感じ方まで否定されるのですか。お答えください。

慰安婦はないほうがいいい。何百人も強制連行されたというウソの証言が広まってしまったが、少女像は外務省がやめてくれと言っている像だ(市長)
【市長】慰安婦さんというのは悲しい歴史上の事実として、ないほうがいいですよ。残念ながら世界のいろんなところで存在していた。なくそうという努力をしようではないかと言っている。その前提において、済州島で何百人と強制連行した人が、実はウソだったと自分で言って、朝日新聞が謝罪して訂正までした。しかし、30年もたってるから全世界に広がってしまった。そういう状況の中ですので、衆議院じゃないので、とにかくワシントンポストを読んでちょ。それに尽きる。
 平和の少女像というのは、だれが考えても慰安婦の像のことじゃないですか。今あれがどうなっているかといえば、世界各地の銅像に、セクシャルスレイブとか20万人アジアから強制連行したとか書いてあるが、外務省がやめてくれと言っている像のことじゃないか。

多様な感じ方をしたことまで否定するのか(再質問)
【田口議員】その像を見た人たちが共感を抱いた人もいるわけです。平和像を見た人たちが多様な感じ方をしたということまで否定するのか。

事実でなかったという気持ちを持ってる人がものすごくいる(市長)
【市長】田口さんのいわれる感情を持つ方も見えるでしょう。しかし、もっとおびただしい数の日本の皆さんが、それは事実でなかったという気持ちを持っておられる方がいると思いますよ。その皆さんの表現の自由は踏みにじられちゃうんじゃないですか。
 日本人の心が踏みにじられたという中に、天皇陛下の写真をバーナーで燃やして、後で踏んづけるのはいかんですよ。特攻隊の6000人以上がなくなっているけど、その人たちを間抜けな日本人の墓ということも著しく日本人の心を踏みにじると思いますよ。少なくとも公共が主催する場でやるようなことではありませんよ。

「心からのお詫びと反省の気持ち」にふさわしい行動をとっていないことが問題。市長は、表現の自由の重要性を認識していない(再質問)
【田口議員】市長は少女像について日本政府が撤去を求めているとおっしゃいました。問題は、安倍政権が、「河野談話」や2015年の日韓外相合意で表明した「心からのお詫びと反省の気持ち」にふさわしい行動をとっていないことが、問題をこじらせているのです。
 ただ、市長も、少女像を見た人たちの多様な感じ方までは否定されませんでした。
 文化芸術とは何か。文化芸術基本法では「文化芸術は……人々の心のつながりや相互に理解し尊重しあう土壌を提供し、多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するもの」と謳っています。トリエンナーレで展示された少女像も、れっきとした芸術作品であります。
 市長は、「自費で、民間ギャラリーなどで作品を発表することは自由」と言いますが、表現活動の場所を提供し、お金も出して、表現の機会を保障してこそ、表現の自由が成り立つのではないでしょうか。文化芸術基本法では、「文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨としつつ」、施策を推進していくことを国や自治体に求めています。行政が主体の展覧会でこそ、表現の自由は最大限に保障されなければなりません。
 市長、あなたは行政が主催する展覧会では、「政治的中立性について、意識しなけれなばならないと答弁されました。「政治的中立性」を口実に、行政が表現の機会を保障しないということは、表現の自由の重要性を認識していないことになるのではありませんか。お答えください。

公共の芸文センターでやられたとなると、認めたことを応援することになる(市長)
【市長】共産党の主張だけが表現の自由みたいな言い方をされますが、そうでない人の表現の自由もものすごくあるんですよ。公共がやりますと、その主張が、名古屋のど真ん中、芸文センターでやられたとなると、認めたことを応援することになるになる。そうでない人の表現の自由はどうなるんですか。多様なことを大事にせないかんじゃないですか。それが憲法15条2項に書いてあるでしょう、全体の奉仕者と。一部の奉仕者、共産党の奉仕者じゃないと書いてあるではないか。ええ加減にしてもらわないかん。

まさに公権力による表現の自由の侵害。再開を求める(意見)
【田口議員】芸術は行政が主催する集会、名古屋まつり、こういうところなら市長が問題だといってもいいかもしれないが、今問題になっているのは芸術活動の場だ。芸術活動というのは、文化基本法でも、表現の自由の重要性を深く認識してやらなければいけないと言っているわけで、どういう内容で表現するかどうか、作品の中身、これについてはトリエンナーレでもそうだが、お願いをした芸術家の判断に委ねるところだと思う。
 市長は、行政が主体となった展覧会で少女像を展示することは、「行政が認めたと誤解を与える」と言っています。それは、あなたが日本軍「慰安婦」問題はなかったとする歴史修正主義の色眼鏡で見ているからではありませんか。芸術作品に対する評価は、見た人に判断してもらえばいいのです。
 今回の「不自由展」の中止は、市民の見る権利も奪ってしまいました。市長が行った中止要請は、表現の機会と見る権利を奪った。まさに公権力による表現の自由の侵害であります。
 最後に、「表現の不自由展・その後」については、来館者や職員の安全を確保する措置を講じたうえで、再開されることを求めて質問を終わります。

参考(大村知事の見解)  9月10日
  あいちトリエンナーレ 2019「表現の不自由展・その後」について

 標記の件について、河村たかし名古屋市長から8月2日付けで私あてに中止を求める文書が発出されました。
 また、8月8日付けで市民向けに市長ご自身の考え方を現わす文書が市のホームページにも掲載されました。
 そしてこれらを見られた県民の方々から、知事や県はどのように考えておられるのでしょうか、という問い合わせがありました。
 そこで、これら一連の文書の内容を拝見したところ、日本国憲法を解釈する上でいくつかの疑義が散見されました。
 このような間違った情報を市民に発信されていることを憂慮し、私の考え方を次のようにまとめました。広く県民の方々にご覧いただければ幸いに存じます。
1.展示を中止した経緯
 今回、「表現の不自由展・その後」(以下「本件展示」といいます。)を中止した経緯は、繰り返しご説明してきたとおり、本件展示の開始後、テロの如き加害行為を想起させる脅迫、嫌がらせの電話や電子メール、ファックスが事務局や県庁に殺到し、本件展示はもとよりトリエンナーレ自体の安心・安全な運営が脅かされたためです。威力業務妨害罪の容疑により逮捕者1 名がでていますが、その後も脅迫・嫌がらせ的な電話等は継続しており、現時点では安心・安全な運営の確保についてまだ確信を持てる状況に至っていません。なお、こうした一連の経緯については、外部有識者によるあいちトリエンナーレのあり方検証委員会において検証していただいているところです。 
 また、トリエンナーレは、実行委員会において、関係者での協議を経て事業計画や予算等をその都度議決しながら進められてきたもので、愛知県や実行委員会会長である私の一存で決まったものではありません。なお、本件展示の中止については、来場者の安全確保等の観点から実行委員会会長である私と芸術監督が相談して決めましたが、上記のとおり緊急避難的な対応としてやむを得ないものと考えています。
2.本件展示と表現の自由について
 日本国憲法21 条は、1 項で「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とし、2 項において、「検閲は、これをしてはならない。」と規定しています。表現の自由が基本的人権として保障されていることの重要性は、あらためて説明するまでもないことと思われますが、憲法21 条2 項が検閲を禁止する条項をわざわざ設けていることには、特別の意味があると考えられます。それは、日本では過去に検閲制度が実際に存在し、その弊害が極めて大きなものであったという反省に基づいたものです。表現の自由が保障されていることからすれば、検閲の禁止は当たり前のことで特に規定する必要性はないともいえますが、歴史的経緯への反省に基づき、表現の自由を侵害する行為の中でも検閲は特に許されないことを明示したもの、いいかえれば、表現の自由を侵害する公権力の行使、作用、活動はすべて憲法21 条1 項でもともと禁止されており、その中でも検閲については、歴史的経緯から特に2 項で厳しく禁止することを確認したものと考えられます。
 したがって、検閲にさえ当たらなければ問題ないかの如き理解があるとすれば、本末転倒といわざるを得ません。憲法21条2項にいう「検閲」の解釈については様々な解釈がありますが、公職にある者は、何故に表現の自由が保障されているのか、何故にわざわざ検閲が明示的に禁止されたのか、その歴史的意味を深くかみしめる義務があると考えます。今般、本件展示の内容が「日本国民の心を踏みにじるもの」といった理由で展示の撤去・中止を求める要求がありましたが、もし事前に展示内容を審査し、そのような理由で特定の展示物を認めないとする対応を採ったとすれば、その展示物を事前に葬ったとして世間から検閲とみられても仕方がなく、いずれにせよ憲法21 条で保障された表現の自由の侵害となることはほぼ異論はないものと考えます。
 また、トリエンナーレで展示をしなくても私的な負担と場所で展示できるから問題ないという考え方もあるようですが、これも基本的人権や「公」の概念をまったく理解していないといわざるを得ません。
 憲法は、表現の自由だけでなく、19条で思想・良心の自由を保障し、14条で法の下の平等も保障しています。したがって、公権力は、補助金の交付といった便益の供与・サービスの給付的な局面で用いられる場合でも、こうした基本的人権に反することが許されないことは当然です。そして、表現の内容、思想や良心に立ち入り、表現や思想等の内容次第で便益の供与やサービスの給付の取り扱いを判断し区別することは、これら基本的人権の保障に反することは明らかです。公的な場であるからこそ、多様な表現が保障されるべきことが、憲法の要請と考えます。
3.トリエンナーレの意義について
 トリエンナーレは、多様なアートに直接触れ、あるいは体験することによって、文化芸術の振興、浸透、地域の魅力の向上などを図るものです。
 いうまでもなく、芸術の価値に対する評価は百人百様です。したがって、誰もが芸術的価値を認めるものだけの展示を認めることになれば、こうした展示展は成立しません。したがって、テーマや展示の選択など芸術的内容に関わる点は、芸術分野の専門家を中心としたメンバーで選ばれた芸術監督やキュレーターによる議論・検討を経て決定されています。愛知県は、施設や財政面、事務局スタッフの人的支援といった観点で中心的な役割を担っていますが、愛知県や私が芸術的な価値について当否を判断して展示内容を決定したものはありません。芸術的価値に対する評価については、実行委員会会長あるいは首長といえどもそれを評価・判断して決定すべきでなく、展示内容の取捨選択は最終的には芸術分野の専門家に委ねるべきで、実際にそのように進めてきました。
4.まとめ
 今回、来場者や出展者、トリエンナーレに関わった多くの関係者の方に混乱が生じたことは大変遺憾に思っていますが、脅迫的な攻撃が集中的になされたことは、あってはならないことです。表現の自由、思想・良心の自由、法の下の平等といった基本的人権は、突き詰めれば「個人の尊厳」に行き着くと考えられます。人は誰もが異なる存在であり、そうした多様性を互いに認めて尊重すべきです。多様な人がいれば、あつれきも生じますが、それは冷静な対話により建設的に解消されるべきものです。モノは破壊できても人は破壊できません。
 また、公権力を行使する職にある者にも、表現の自由、思想・良心の自由、政治的な意見は個人として当然保障されるべきです。私も個人的な意見等はもちろんあります。ただ、他方で、公権力を行使する立場にある者、特に行政権を執行する職にある者は中立性が求められます。思想や良心の中立性ではなく、行政権を公正に執行すること、すなわち、例え自分の思想や信条、政治的立場と異なる相手であっても、法に従って公正に職務を行うという職務執行上の中立性です。
 こうした観点から、首長としての行為や発言と、個人的な行為や発言とは厳に区別されるべきですし、多様な価値観や意見の衝突があるのであれば、個人的な意見表明を行う場合でも公私の区別を明確にして謙抑的に行われるべきです。自らの思想や信条をそのまま具体的な職務執行やその要求に直結させることには疑問を持たざるを得ません。
 私自身の自省もそうですが、トリエンナーレを、表現の自由の在り方、芸術展の在り方等について、多くの人があらためて考えてみる機会にしていただきたいと思っております。
5.今後について
 なお、9月に「表現の自由に関する公開フォーラム(仮称)」を開催いたします。そこでは、今回の「表現の不自由展・その後」でのような日本各地での展示中止事例やその背景を探ります。作家やキュレーターを招き、県民の皆様(鑑賞者)とともに自由に意見を語り合う場にしたいと考えております。
 さらに10月には、あいちトリエンナーレで展示中止とした作家やこうした問題に精通する海外ジャーナリストを招いて、「表現の自由に関する国際フォーラム(仮称)」を開催いたします。このフォーラムでは、世界各地が直面する深刻な現状について議論し、そのうえで、表現の自由の実現に向けてアートに何ができるのかを確認したいと考えています。また、各国政府や世界の人々に対し表現の自由をアピールする「あいち宣言(あいちプロトコル)」を提案したいと思います。
 実は、本来、こうした作業は「表現の不自由・その後」の前に行うべきでした。そうすれば誤解や混乱は避けられたかもしれません。しかし、今からでも遅くないと思います。
 私たちは、今回のあいちトリエンナーレでの出来事を、表現の自由に関するメッセージを世界に届ける機会にしたいと考えています。その作業に、是非作家の皆様、キュレーターの皆様、そして多くの県民の皆様(全鑑賞者)にご協力いただきたいと思います。

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