2010年9月定例会 個人質問(9月15日)
議会は総合計画を修正できないという
市長の解釈は身勝手

くれまつ順子議員

録画中継を名古屋市会サイトにて配信しております。ご覧になりたい方はこちら(市議会の録画中継サイトが別ウィンドウで開きます

名古屋市中期戦略ビジョンに対する再議について


くれまつ議員

再議理由の法令解釈は、市長の個人的なものか、判例等に基づくものか

【くれまつ議員】
2月議会では、議会の議決事件とされていなかった市の総合計画について、議会は市民から選ばれた代表者として、議会で審議をし、議決することを決めました。

そして、6月議会では、市長から提案された市の総合計画である、中期戦略ビジョンの審議を行い、地域委員会の数値目標を削ったり、「冷暖房のいらないまち」を「冷暖房にたよらないまち」にするなど、一部計画の修正を行い議決しました。

この議会の修正した部分が、議会の権限をこえると、市長から再議にふされましたので、伺います。

河村市長は、提案理由説明の中で、総合計画を策定する議案の修正については、「議会が無制限の修正権を持つわけではない」として、具体的には、長の計画策定の趣旨を損なう内容の修正や、長の事務管理執行についての個別具体的な内容に踏み込んだ修正を行うことは、「法的にはできないものと考えている」と述べられました。

しかし、市長のいわれるような修正ができないとするならば、字句の訂正などを除いて、議会は総合計画を修正してはならない、ということになるではありませんか。市長のこうした法令解釈は、議会の修正権を侵害する考えだといわなければなりません。

そこで、市長に伺います。長の計画策定の趣旨を損なう内容の修正や、長の事務管理執行についての個別具体的な内容に踏み込んだ修正を行うことはできないとする法令の解釈は、市長の個人的な解釈なのか、それとも判例などにもとづく公理なのか、お答えください。

全国で、名古屋のように総合計画を修正し、再議をしているところがあるのでしょうか。

埼玉県では、総合計画「ゆとりとチャンスの埼玉プラン」の策定に際して、議会が、施策・事業の追加や数値目標の修正などを数箇所にわたって行いました。しかし、埼玉県知事は再議の申し立てを行っておりません。

全国の自治体において、総合計画の策定に際し、議会が、市長の言われる解釈、つまり、長の計画策定の趣旨を損なう内容の修正や、長の事務管理執行についての個別具体的な内容に踏み込んだ修正を行ったことを理由に、長が再議を申し立てた事例はあるのか、お答えください。

私の判断で再議を行うこととした(市長)

【市長】
16年の議員の経験では行政計画を議会が議決で変更したことはない。行政計画法などは法なのでやりますが。必ず与党野党で議論があり、その中で与党のほうから、行政機関から変更することはあったと思います。だけど議会が議決によってスローガンを変えたり、数値をとってしまったり、そういうことは全く体験がない。与野党がないから何でもできるんですかね。これ、異常だと思います。

総合計画の策定等について議決すべき事件に指定されたが、中期戦略ビジョンのような行政計画は、本来、長の責任において策定すべきものである。議会に行政計画の策定権、提案権を認める法令上の規定がないことから、長にその権限が委ねられているものと解釈することができる。議会が無制限の修正を行うことができるとした場合、議会に計画の策定権を認めたことと同じであり、結果的に、市民に対して責任負っている長に専属する計画策定権を侵害することとなる。計画の策定権、提案権に制約がある以上は、自ずと修正権にも制約があると認識している。

他の自治体での再議の事例を調べたところ、本市を含む5政令市26県で基本計画等について議決を得ているが、修正議決されたのは、本市と埼玉県、長崎県のみであり、2県とも4項再議は行っていない。

総務省に相談しつつ、弁護士や大学教授といった法律の専門家に見解を伺い検討を重ねた結果「本来、長が策定すべき行政計画を議決事件に指定したとしても、長の計画策定の趣旨を損なう修正や市長の事務について個別具体的な内容に踏み込んだ修正を行うことは議会の権限を超える」と、最終的に私の判断で再議を行うこととした。


くれまつ議員

「冷暖房のいらないまち」と「冷暖房のみにたよらないまち」と、どう異なるのか

【くれまつ議員】
次に、「冷暖房のいらないまち」を「冷暖房のみにたよらないまち」に修正した点について伺います。

市長は、提案理由説明の中で、「全く趣旨の異なる表記に書き換えられた」とのべられました。ところが、6月議会の総務環境委員会の審議で、環境局は、「冷暖房のいらないまち」を名古屋で実現することは不可能であることを認め、「冷暖房のいらないまち」とは「冷暖房のみにたよらないまち」という趣旨である旨の答弁をしています。また、6月議会前の所管事務調査での意見を踏まえて、環境局は、「冷暖房のいらないまち」を「冷暖房のみに頼らないまち」と修正する案を河村市長に示していたことも、審議の中で明らかになっています。担当局は、「冷暖房のいらないまち」と「冷暖房のみにたよらないまち」は、同じ趣旨であると理解していたと考えて間違いありません。

市長も、猛暑の中、学校にクーラーを付けてほしいと子どもたちが悲鳴をあげているこの名古屋を、本気で「冷暖房のいらないまち」にできるとは考えておられないでしょう。

そうであるならば、「冷暖房のみにたよらないまち」と修正する方が、市民の理解が得られると思います。にもかかわらず市長が、「全く趣旨が異なる」と主張されるのはどうしてか。「冷暖房のいらないまち」に込めた市長の趣旨は何であり、「冷暖房のみにたよらないまち」と修正することによって、その趣旨がどのように異なってしまうのか。市民にわかるような説明を求めます。

政治的理念を無理やり変更するのはとんでもない(市長)

【市長】
冷暖房のみに頼らないまちなんて、世の中にいくらでもある言葉で、それを政治的スローガンにするとスローガンにならない。こんなもの。政治的理念を語っているときに、それを無理やり変更してしまうのはとんでもないことだ。

「冷暖房のいらないまち」は、実現に向けてのハードルが高いことは承知しているが、市民とともに取り組んでいくことが重要であるため、市民に分かりやすく、訴求力のあるスローガンとして掲げた。市民のライフスタイルを変えていくことだけでなく、自然の風を通すように道路・建物を配置や小川や地域河川の復活、里地里山や鎮守の森や公園など街の緑をつなぐことによる緑地の保全・創出など、名古屋の街づくり、都市計画そのものを変えていくことで「冷暖房のいらないまち名古屋」をめざしたいという強い思いだ。マニフェストでも掲げており、私の政治的な理念である。市民から反対の意見をいただいたことはない。このような理念を体現したビジョンの表現が、市民の意見を聴くこともなく、一方的に書き換えられることはあってはならず、計画策定の趣旨を損なうものと言わざるを得ない。

市長の身勝手な解釈だ。修正は当然(意見)

【くれまつ議員】
冷暖房のいらないまちの修正について、市長の身勝手な解釈を前提としても、冷暖房のいらないまちも冷暖房にたよらないまちも同じことをめざしていて、理念は同じ、スローガンが違うだけで、市長の計画策定の趣旨を損なうような修正ではない。全国でも議会の修正議決に再議が行われていないということです。市長の身勝手な解釈といわざるをえません。

議会の修正議決が議会の権限をこえるという法的な根拠は示されませんでした。

詳細な質疑は常任委員会で行うことを表明して、質疑を終わります。

▲このページの先頭へ戻る